オーディオみじんこ
我が青春のオーディオ遍歴
私のオーディオ遍歴をご紹介します。オーディオマニアの方なら共感できる事柄も多いかも。

目覚め
1988〜1991年

 オーディオに興味を持ち始めたのは高校生の時。初めて買った音を出す装置はアイワのミニコンポ。貯まっていたお年玉を叩いてやっとこさ買ったのだ。たしか15万円くらいしたかと思う。私が高校生の1980年代後半、ミニコンポといえば黒一色、15万円程度の3ウェイスピーカーがセットされたものが多かったと思う。これは今でも奈良の「あとりえみじんこ」跡地で使用されている。

初めてのバラコン
1992〜1996年

 大学時代は時間的余裕もあり、よく日本橋のシマムセンに通っていた。ここの店員の西田さんという方は親切で、貧乏学生の私にもオーディオについて色々教えてくれたのだ。時は1990年、まだ国産オーディオは黒色が主流だったが徐々にシャンパンゴールドやシルバー系の面構えのものが出始めていた。かくして、念願のバラコンを小遣いでやっとこさ買った。アンプはデンオンのハイCP機 PMA-390。この機種は3万円を切る実勢価格ながら大型トロイダルトランス内蔵で、シンプルイズベストな構造が功を奏したといわれる名アンプだった。スピーカーマトリックス接続で真価が発揮されると言うのも面白い。このアンプと同時にサンスイのハイCPなセンタートレイCDプレーヤーも買ったが型番は覚えてない。スピーカーはパイオニアの小型バーチカルツイン。カセットデッキはA&D。すべてシマムセンで買った。たぶん総額で15万弱だったろう。これでも、学生時代の私としてはがんばったつもりだったし、これらのコンポは現在も親が別荘で使ってくれている。

初のスピーカー自作
1996年

 大学院時代には初のスピーカー自作にチャレンジ。しかも、いきなり高さ180センチの共鳴管スピーカーF-108「ビッグカノン」を4本もである。この時すでに私は長岡先生に惚れていたのである。板材カットは東急ハンズ江坂店で依頼、材質は価格が安価で丈夫という理由でMDF合板を使用。ユニットはFF125Kを日本橋河口無線で購入。

「ビッグカノン」はもともと私の個展会場に設置するために作品の一環として製作したものであるが、製作は困難を極めた。なんせ、6畳間でこの巨大なスピーカーを4本同時に製作するのだから、部屋は板材やら工具やらで埋め尽くされることに。しかも、元設計のまま組み立ててもかなりの重量なのに、外層にL字鉄鋼などを取り付けたために一人では持ち上げられない重さに。正確には量ってないが、たぶん60kgくらいあったはず。音はびっくりするくらいの開放サウンド!しかも4本「ビッグカノン」の発する音に包まれて音の洪水の中にいるような感じ。ただ、上面開口部から放射される共鳴音がややだぶついて聴こえる感じはあった。

長岡先生との最初で最後の会話
1997年

 東京への引越の折、重すぎる「ビッグカノン」は大阪から東京まで持って来る気になれなかった。それに代わるスピーカーとして長岡先生設計のF-20「キャンセル」を格安で入手したのである。しかも、オーディオ誌で記事用に製作された実物である。どうしてそんなものが入手できたのかというと、品川のラックス本社で行われた長岡鉄男先生のチャリティースピーカーオークションで落札したのだった。オークション会場には長岡先生作の歴々のスピーカー群が所狭しと並べられ、ユニット代にも満たない格安の値段がつけられていた。落札方法は要望者を募り、一組づつじゃんけんで落札者を決めていったのだった。そして、ふと見ると自らスピーカーについて説明する長岡先生がおられたのである。「このスピーカー(エスカルゴを指して)以外といい音で鳴るんですよ」などと話しておられる。たしかに10cmフルレンジのFF125K一発から出ているとは信じがたいいい音だった。私は前述の「キャンセル」と「かるわざ」をじゃんけんで落札し、長岡先生にサインをねだった。先生は快く承諾され、落札したスピーカーの側面にマジックで「長岡鉄男」とサイン?というかお名前を書いて下さった。そのサインらしくないサインが、長岡先生の飾りっけのないお人柄を表していた。それから「先生!ビックカノンを4台作ってマトリックスで使ってます!」と話しかけると「おー、それはすごいですね」と先生。これが、面と向かって長岡先生とお話した最初で最後だった。以降、オーディオフェアでお姿をお見受けしたこともあるが、よもやお亡くなりになられるとは。長岡先生ほど世のオーディオファンに影響を残された評論家が他にいるだろうか。本当に悲しい限りだ。

グレードアップを実行せよ
1998〜2000年

 社会人になって東京に住み始めてからというもの、東京の中古オーディオショップの在庫量に圧倒され、学生時代に徘徊した大阪随一の電気街である日本橋がしょぼく見えたものだ。なんせ、日本橋でまともな中古ショップと言えば逸品館くらいだったからだ。社会人になり多少のお金の融通も出来たので、グレードアップを実施。とは言っても分相応、極端な高額製品には手が届かないので、オーディオ誌や主観を頼りにアンプはソニーTA-FA5ES(定価9.8万)を4万円で、AVアンプはソニーTA-VA8ESを4万、CDPはソニーCDP-XA50ES(定価9.8万)を5万円、MDデッキは同じくソニーのMDS-JA30ES(定価13万)を6万円で購入。なぜか、オールソニー製になった。これらの中でもCDP-XA50ESは今もって音質、機能ともに優秀なCDプレーヤーだったと思う。ソニーは大手メーカーだとか、壊れやすいとかで嫌がる人もいるが、私は優秀なメーカーだと思う。また、ソニーの修理サービスは対応が悪いという話も多いが、私がお世話になった限りでは対応は良かった。

自作スピーカー第2弾「ウラヌス」
1998年

 自作第二弾は、やはり故長岡鉄男先生設計の「ウラヌス」を製作。これは、8センチフルレンジのFE83を使用した5個の小型密閉型サテライトスピーカーとFW108を2発使用したスーパーウーハーで構成され、5.1チャンネル再生、もしくはマトリックス再生を想定したシステムであった。ただし、サテライトは2個余分で計7個作った。板材はメルクシパイン材を使用、東急ハンズ渋谷店でカット依頼。サテライトのフロントバッフルは、メルクシに銅の薄板(2ミリ厚)を貼ったものを4個とコーリアン材(13ミリ厚)を使用したものを3個作ってみた。製作総費用は8万くらい掛かったはず。結果はおおむね良好で、音に包まれる感じが心地よい。部屋が狭いこともあって、「キャンセル」はもったいないが友人に譲り、「ウラヌス」が主役の座を占めることになった。サテライトの銅板仕様とコーリアン仕様の音質差は、銅板張付けバッフルが有利とみた。コーリアンバッフルは音がやや整理され過ぎた気がする。木のフロントバッフルに薄いコーリアンを貼るくらいがちょうどよかっただろう。

さらなるグレードアップ
2001年

1998年以来はソニー製品とスピーカー「ウラヌス」の組み合わせでしばらく満足していた。というより、しばらくオーディオから遠のいていたのだった。しかしながら、友人が私に影響されてオーディオセットを組みたいと言うことになって、私が代行してお得な中古機器探しをしている内に私のオーディオ熱が再燃してしまったのだった。また、この時期からヤフーオークション(以下ヤフオク)をやり始めたので、欲しい中古オーディオが容易に入手しやすくなった。とにかくヤフオクのオーディオ機器は膨大な出品数の上に、カテゴリー別に細かく分類されておりとても探しやすい!

 中古入手の際、参考書代わりに役立ったのは故長岡先生の追悼本「開拓者 長岡鉄男」だった。承知の方も多いと思うが、この本は「週間FM」のダイナミックテストの優秀機をまとめたものである。週Fの入手は今となっては古本で探すしか無いし、しかもある程度まとまっているとウン万円のプレミアが付いていることもあり、\2,500円で買える「開拓者 長岡鉄男」はお得なのだ。

 かくして「開拓者 長岡鉄男」を読みほじりながらの中古オーディオショップ巡礼が日課となった。莫大な時間と労力と金を掛けて集めたオーディオ機器はわが愛しのオーディオコンポーネントに、アクセサリーはわが愛しのオーディオアクセサリーにまとめました。巡礼しているオーディオショップはお勧めオーディオショップガイドにまとめてあるので御参考に。

そして現在へ
2002年〜

 2002年初頭、みじんこは次期オーディオシステムの検討に入った。自作オーディオラックと自作スピーカーを同時製作するという大掛かりな計画だ。システムの設計に3ヵ月、製作には4ヵ月を要した。莫大な金と時間とエネルギーを注ぎ込んで、2002年秋に完成。それが現在のみじんこオーディオシステムだ。長岡式積み上げラックとPA-2が異才を放っている。この2年あまりでオーディオ機器もどんどん増えてしまい、使っていない余剰機器が増えてしまった。

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